明石海峡大橋建設の生みの親は誰?苦難のエピソードと凄さを伝えます!【新プロジェクトX】

こんにちは!Joiceです。

数々の困難を乗り越え、明石大橋完成までの40年の軌跡を「新プロジェクトX」で取り上げられます。

70年前、潮流激しい明石海峡に世界一の吊り橋を架けたいと願った人物がいました白昼夢と笑われながら橋の必要性を訴え、なぜ反対や笑われてもなお、意志を貫き通しその橋が作られたのか、その人物は誰なのでしょう。

そして、苦難を極めた橋の建設エピソードと凄さを調べさせて頂きました。どうぞ最後までご覧ください。

明石海峡大橋の生みの親は誰?

白昼夢と揶揄されながらも実現した方は第12代神戸市長の原口忠次郎 博士です。原口氏の経歴を書かせていただきますね。

原口氏は1889年11月に芦刈町に出生しました。京都帝国大学土木工学科出身(現在の京都大学)で、土木技術者、官僚、工学博士、参議院議員、神戸市長を連続5期歴任されています。何十年も先の展望を掲げた持ち主だったそうです。

架橋5周年に像が建立されましたが像の下には市議会で「人生すべからく夢なくしては叶いません」の言葉が刻まれています。

69年前、高松市沖の瀬戸内海で修学旅行生など168人がが犠牲となった旧国鉄の宇高連絡船「紫雲丸」の沈没事故で尊い命を失ったことが、無理と言われても数々の困難を乗り越え貫き通した原動力ではないでしょうか。

多くの嘲笑や反対をものともせず、「今こそ神戸と四国を橋で結び陸続きにすべきだ」と提案し実現させた偉大な人物なんですね。

多くの困難を極めた明石海峡大橋建設を奮い立たせた紫雲丸の事故に関してもお伝えしたいと思います。

紫雲丸の事故とは?

紫雲丸の事故とは旧国鉄所有の宇高連連絡船 紫雲丸が1947(昭和22)年6月の就航から8年間に亘って5回も起こした事故の総称をいいます。その間の2回は犠牲者も出て、最大の被害は前述しました1955(昭和30)年5月に168名の尊い命が奪われたもので、主にこの件を指すようです。

そしてこれは国鉄における戦後5大事故のひとつとなりました。

当日、濃霧注意報が出ていましたが出発時4~500m先の船を目視できたことから出航したそうです。しかし風などの影響で次第に霧が深まり、気づいたときには大型小物運行船と衝突しました。

船には乗客781名、乗組員61名がおり、犠牲となった168名のうち108名が修学旅行で帰宅途中の児童だったようです。命に優劣は決して付けられないと思います。けれど、前途ある若い命が失われるのは本当にやるせないです。

それが当時、神戸市長だった原口氏の想いを加速させたのだと思います。

明石海峡大橋建設の苦難のエピソード

現在の明石海峡は好漁場であり国際航路に指定され1400隻以上が行き交いますが、建設前は鳴門の渦潮1のように潮流が激しいため、航路か断たれたために生活に必要な物資が滞ったのでしょう。

潮流の激しさや最大水深は110mもあるため吊り橋でしか橋の建設は不可能と考えられていました。そのため重さ9万トンの橋げたを吊るす巨大ケーブルの建設ヘリコプターによる空中架設、さらにはつり橋を支えている7万4千本のワイヤーの施行しなければなりませんでした技術を磨き続けた製鉄会社による師弟の努力の結集だと思います。

1トンは1000キロですから、それが9万分の重さ。それに耐えうる巨大ケーブルというものに全く想像が付きません。さらにヘリコプターで空中架設するのですから、揺れて重心も定まらず(あくまでも想像ですが)筆舌に尽くしがたい苦労があったのだと思います。

発注者は本州四国連絡橋公団で明石海峡大橋に携わった施工会社は、神戸に本社を置く製鉄会社を始め25社以上に上り建設した会社は銭高組とのこと。工事期間は約10年掛かり210万人が従事し総工費は5000億円掛かりましたが、建設中の死亡事故は0だそうです。安全にも徹した素晴らしい結果ですね。

明石海峡大橋の凄さ

時間的なもので言うと神戸から徳島まで270分から100分へ3分の1に短縮され、広域救急医療体制などの拡大が進み住民生活の安全性と利便性が大幅に改善されています。

また、この建設による経済効果は本四高速道路の総額(2018年までの31年間)で累計41兆円にも上っているそうです。

明石大橋は世界最大級の長さを誇る3911メートル、海上から主塔までの距離が300mあり(大阪のあべのハルカスと同じ高さ)、レインボーブリッジの約5倍の長さを誇ります。ギネスブックからは、世界一長い吊り橋、世界一高い吊り橋2に認定を受けています。

1995年1月阪神・淡路大震災が発生し、この地域では甚大な被害をもたらしましたが建設中の明石海峡大橋では主塔基礎が約1m伸びたほか深刻な損傷はなく、確かな強靭性が実証されました。

明石海峡大橋は夜間や季節によってライトアップされ、パールブリッジと呼ばれるなど美しさでも誇れますね。

まとめ

ひとつのものが形として残るには、相当の熱量に知識や知恵と実行力が必要だと改めて考えるきっかけとなりました。私たちは先人たちの足元にも及びませんが、さまざまな問題が浮上しても解決し乗り越える強い意志を少しでも真似をしていきたいと思います。

新プロジェクトXで困難を極めた明石海峡大橋建設への苦難と、40年もの長きに亘って途絶えることなく熱い想いを維持し続けた様子が取り上げられ未熟なブログではありますが、

1.明石海峡大橋の生みの親は誰?
2.紫雲丸の事故とは?
3.明石海峡大橋建設の苦難のエピソード
4.明石海峡大橋の凄さ

をまとめさせていただきました。多大な苦難を乗り越え明石海峡大橋の建設に携わった方々に、敬意を表したいと思います。
ここまで読んで頂きありがとうございました。

  1. 徳島県鳴門市と兵庫県南あわじ市の間の鳴門海峡で発生する渦潮。大潮の際は渦の直径は最大で30mにも達し世界最大級と言われています。 ↩︎
  2. 2年前トルコの主塔までの距離は318m、主塔間が2023mある『チャナツカレ1915橋』が完成しギネス1位の座は返上しました。つり橋の長さの順位は全長ではなく、主塔間の距離で決められるためです。橋の名称の1915はオスマントルコ帝国が第一次世界大戦中に英仏連合軍に大勝利した1915年から取っているそうです。
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Joice

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